高麗人参の歴史を知ろう

数百個もある高麗人参の呼び名

高麗人参は朝鮮人参とも呼ばれ、各地で様々な呼び名がついています。
「地名+人参」という名前がついていることが多いようで、その種類は数百個に上るのだとか。
歴史も古く、健康によいと各地で大事にされてきたことが伺えます。

和名では「オタネニンジン」という呼び名がありますが、私たちが普段口にする人参ではありません。
人参はセリ科、高麗人参はウコギ科に属する植物です。
掘り出した根の形がなんとなく人に似ていたのでそう呼ばれるようになったようです。

高麗人参の歴史・原産地

高麗人参は中国北東部(満州地方)、ロシアの沿海州地方、朝鮮半島全域を原産とする野生の山人参です。
高麗人参の原産地は主に高句麗が支配していましたが、その昔高句麗は高麗とも呼ばれていたので高麗人参という名がつきました。

昔から医学書に紹介されている

高麗人参はとても古い歴史を持っていて、数千年前から食されていたようです。
人が足を踏み入れないような山奥に自生している高麗人参は、手に入れることが困難な上に栽培することもとても難しいため、非常に貴重なものでした。
「仙薬」「霊薬」などとも呼ばれるほど珍重されてきました。
「仙薬」「霊薬」とは、飲めば不老不死の仙人になるという薬で科学や医学が発達していない古代から効果を実感できる生薬だったのでしょう。

中国の薬学書に記載されています。
中国、韓国では漢方の原料として欠かせない存在でした。

貴重な人参

朝鮮人参は韓国では今でも薬としてだけでなく、料理にも不可欠な食材となっています。
とはいえ、その時代でもとても高価だった高麗人参は、一般の人が気軽に手に入れられるようなものではありませんでした。
一部の位の高い人々しか食することが出来ないものだったのです。

日本に入ってきたのは奈良時代

中国や高句麗では高麗人参が古くから珍重されてきましたが、日本ではいつから食されているのでしょうか。

今からおよそ1300年前の739年(天平11年)に、渤海の文王から聖武天皇に貢物として献上されたという記録が最も古いものとされています。
正倉院にはその当時の野生人参が保存されているとのことです。

当時は奈良時代の最盛期、遣唐使も盛んに送られた時期でした。
輸入品の中では、朝鮮人参が30%を占めたということです。
日本でもその薬効が知られるや、需要がどんどん増していきましたが、栽培は難しいため高価ではあるけれども輸入に頼らざるを得なかったようです。

わざわざ「人蔘代往古銀」という、日本国内では流通していない純度80%の銀貨を幕府負担で作り、高麗人参代として使われていました。
それだけ貴重な品ですから、日本でもやはり一般庶民が買えるようなものではなく高級な食材として一部の人しか口に出来ないものでした。

江戸時代に栽培が始まる

日本で高麗人参(朝鮮人参)の栽培が始まったのは、江戸時代に入ってからだといわれています。

外部参考サイト:◇家康が高麗人参服用◇ | 随筆 | ニュース | 東洋経済日報

初めて日本に高麗人参が伝播してから1000年近く経っていました。
健康マニアであった徳川家康が高麗人参を愛飲していたことから、栽培に乗り出したようです。

しかし高麗人参(朝鮮人参)の栽培はとても困難で、家康の時代には成功しませんでした。
それもそのはず、高麗人参はまず土地を作り栽培するのに10年かかります。
そしてその後、植え付けから収穫まで6年。
合計で16年もの年月がかかるのです。
高価である理由が健康食材だけでない、ということがわかりますね。

八代将軍吉宗の時代に成功

失敗が続いていた高麗人参(朝鮮人参)栽培も研究を重ね、家康のひ孫である八代将軍吉宗の時代にようやく成功します。
意外に知られていないのですが、吉宗が高麗人参栽培を国内で初めて成功させた人物だったんですね。

これを機に、吉宗は苦労して開発した栽培法を公開し、栽培を奨励します。
そして江戸幕府は1685年(貞享2年)、朝鮮人参座を開設して市場で取引が出来るようにしたのです。
しかしながらその栽培の大変さから、とても高価な値段がついていました。

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